2018/5/2 小沢健二『春の空気に虹をかけ』日本武道館 感想

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九段下って武道館でライブを見るときくらいしか来ることがないので、楽しい思い出ばかりだ。同じように武道館に向かう人たちと、ぞろぞろと田安門をくぐる。今日は仕事が予定より早く終わったので、開場より早めに行ってグッズを物色。Tシャツもほしかったが「空虹回路」だけ、自分と恋人のぶんで2つ買い、来た道を戻って近所のカフェで本を読む。6時過ぎに仕事終わりの恋人と合流して、中に入る。事前に座席表で見ていた通り、ステージの真裏の席。ま、真裏……。でも、思っていたよりも近くてこれはこれで貴重かも、とか、何の楽器があるかとかを恋人と話していたら、友達から「見つけた」とLINEが届く。真裏の席だということを話していたので、探してくれたらしい。こっちも見つけようと人ごみに目をこらすと、右斜め前方にめちゃくちゃ手を振っている友人たちを発見。しかもボーダー。楽しい。

 

10分ほど遅れてはじまったライブは、照明が暗転したまま「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」の朗読で幕を開けた。それから2時間、最初から最後まですべてが輝いていた。36人編成ファンク交響楽の名に違わぬ音の分厚さで、ホーンやストリングスがとにかく音楽を、空間をきらきらと彩る。

事前に情報がもたらされていた通り満島ひかりもずっと舞台にいて*1、その存在感にも心を打たれた。真裏の席なので基本は背中しか見えなかったのだけど、肩を揺らしている後ろ姿だけでステージが華やぐ。普段背を向けているぶん、たまに振り返ると満面の笑みを見せてくれてとてもキュートでした。

その満島ひかりは序盤から「アルペジオ」の朗読やら「ラブリー」のデュエットやら、「僕らが旅に出る理由」でPVのオザケンのように服を鏡の前で合わせたり、歯ブラシで歯を磨くふりをしたりと大活躍だったのだけど、真骨頂は中盤の「いちょう並木のセレナーデ」だったと思う。今回、彼女の歌声はキーが高すぎるか低すぎるかで常に歌いづらそうにしている印象だったのだけど、この曲や次の曲「神秘的」のようなスロー・テンポの曲では安定していて、繊細で張り詰めた声の魅力が最大限に発揮されていた。「いちょう並木のセレナーデ」ってそんなに思い入れがある曲ではなかったのだけど、まるでこの曲にまつわる恋愛の記憶があるみたいにぐっときて、ちょっと泣きそうになってしまった。

「いちょう並木のセレナーデ」の前にオザケンはMCで「雨が降ってきましたね。まあ野外だから仕方ないけど」と、武道館が三島由紀夫の『金閣寺』みたいにロックファンに放火されて野外劇場になったという架空の、あるいは並行する世界の話を飄々と語っていたのだった。その流れからの傘と光(クリスタルのような、乱反射する透明な石)を使った雨の演出や、楽器隊がオザケン満島ひかりに向かってシャボン玉を吹く姿もファニーでロマンチック。今回の舞台演出は全体的にミニマルで、他にあったのは満島ひかりオザケンの四方にスタンドを立てて、その周りを回りながらピンクと黄色の糸を巻きつけていく(「いちごが染まる」)とか、満島ひかりのドラムパッドが会場の照明と連動していて、彼女が叩くと雷鳴が轟いたように武道館が明滅する(「フクロウの声が聞こえる」)とか。あと、どういう仕組みなのかわからないけどステージには常に一筋の虹がかかっていた(プリズムがどこかにあったのでしょうか?)。演劇や能舞台のように抽象的な演出だったけど、大掛かりな映像や派手な舞台セットを使わないところに、ファンの想像力への信頼が感じられる。そしてその想像力の呼び水として、役者・満島ひかりは必要不可欠なピースだったのだと思う。

 

僕がオザケンのライブを見たのは前回の「魔法的」以来だった。あのときは新曲を披露することが事前にアナウンスされていたし、今ほどコンスタントに活動していなかったから、妙な緊張感があったのだけど、「春空虹」ではそういうこちらが謎解きをしたくなるような思わせぶりな作為がなかった*2。そして多くの人が胸を踊らせる「LIFE」期の楽曲や「強い気持ち・強い愛」「戦場のボーイズ・ライフ」などのシングル曲をふんだんに披露しながら、「アルペジオ」にはじまり「フクロウの声が聞こえる」を「36人編成の真骨頂のような曲」と紹介し、本編を「流動体について」*3で締めるという、今のオザケンの曲を中核としたセットリストで、今の曲も昔の曲も関係なく、みんなをめちゃくちゃ歌わせていた。真裏の席からステージ越しに見た砂かぶり席の人たちの顔ぶれは多様で、でもみんな幸せそうだった*4

コンセプチュアルになりすぎず、ただただみんなが楽しんでいる、非日常の熱狂。でも消費を促すだけのサービス精神とも違う。たとえば「男子の気分の人は男子!、女子の気分の人は女子!って叫んだら一緒に歌ってください」という煽り。セクシャルマイノリティへの配慮が感じられる以上に、「気分」という曖昧な言葉を使うことでそれは越境しうるものであって、線引きに意味はないのだと示しているところが素晴らしい、と思う。そこから逃れられない社会で生活していることは事実だけど、その構造を疑ってみるような気づきを軽快に投げかける。そして「意思は言葉を変え/言葉は都市を変えてゆく」。私たちはこの日常の裂け目の中で「良いことを決意」して、生活に帰っていくのだ。

*1:4/23の東京国際フォーラムでは写真家の奥山由之も参加していたようなのですが、この日は不在。このブログに上げている画像は4/23の奥山由之撮影の「いちょう並木のセレナーデ」です。出典:https://rockinon.com/news/detail/175459 

*2:「魔法的」では本編の最後に「その時、愛」という新曲が披露されたのだけど、この曲には「ライブ会場で覚えた新しい歌を帰り道に口ずさんでみる」というような歌詞があって。その”新しい歌”がこの曲になるのだと言わんばかりにサビを観客に歌わせるという演出をされて、「ちょっと作為的じゃないですか…」と拍子抜けした、ということがあった。それに比べて今回はみんなが好きな時に歌っていたので、帰り道はそれぞれの歌を自発的に口ずさんだでしょう。

*3:しかもその前に披露されたのは「ある光」!

*4:ちなみに真裏の席はステージのそばだからなのか音が良かったし、なんだかんだ近いので振り返ってさえくれたら表情までしっかり見えたし、砂かぶり席で「東京恋愛専科・または恋は言ってみりゃボディーブロー」「ドアをノックするのは誰だ?」を口ずさみながら楽しそうに踊っている姿が見えたのもぐっときたしで、自分はまったくハズレ席とは感じなかった。オザケン満島ひかりの足元にディスプレイがあって、そこに次の曲名が表示されてネタバレになってしまうのだけは残念だったけど……