回復のための語り

「語りと回復」というテーマが、最近の大きな関心ごとになっている。その中で、上岡陽江さんと大嶋栄子さんの共著『その後の不自由 「嵐」のあとを生きる人たち』という本を読んでいたら、こんな文章があった。

”「何があったかという説明よりも、そこでどう思ったか、どう感じたかだけを話せばいいから」と言います。「言葉にならないけど大変なことがあって」とか、「今はまだ言えないけれどとてもつらかった」のように、経験をカッコのなかに入れるような話し方を教えたりもします”

上岡さんはダルク女性ハウスの代表で、自身も薬物やアルコール依存の当事者でもある。大嶋さんは心に病気を抱える女性の生活支援を行う場を提供するNPO法人リカバリーの代表。アルコール依存や自傷癖、精神障害などを持つ女性を長年にわたってサポートしてきた二人が見てきた、女性たちの姿や、彼女らを取り巻く問題点などについて書かれている。

この本全体の趣旨としては、上岡さんと大嶋さんがこれまでに関わってきた女性嗜癖者の姿をもとに、彼女たちの多くが幼い頃から虐待などなんらかの高い緊張を強いられる状況にあったこと、それゆえの考え方の傾向があり、サポートする人はどのようにするべきか、何に気をつけなければいけないのか、を綴ったものだ。タイトルにある「その後」とは施設や自助グループといったその人を支えてくれる場所とつながった状態のことで、そこに繋がったらハッピーエンドで上り調子に回復していくわけではなく、まだまだ困難や不自由は続く、それをどう生き延びるか、という本である。

なので、あくまでも当事者の彼女たちとその援助者に届くことが重要で、ここで得た知見を一般化する必要は必ずしもない、ということは断っておかなくてはならない。でも、そういう人以外でも当てはまるような部分が多くて、この本のペルソナになっている方々に読まれるだけではもったいない、と感じたのも事実だった。

引用したのは、この本の中の小さなコラムのひとつ。上岡さんはこの中で、トラウマ体験を深く語ることは回復につながらない、むしろはじめに深く語ることで、その記憶が現在と結びついてしまって、せっかく繋がれるかもしれない場所や人を失う可能性もある、と書いている。そして、回復につながるのは起こったことを説明するよりも、「その時どういう気持ちだったか」を話せるようになった時であることが多い、と続ける。

 

去年は自分だけの問題ではないので起こったことを詳細に書けないけど、めちゃくちゃしんどい、というできごとが立て続けに起きた年で、そういう時は自分は事実をぼかして感情の部分だけを吐き出すようにしていた。やっぱりあれは回復という観点では有効だったのだ、と確信を得る半面、ぼかして書いている自分をどう評価していいか揺れる気持ちはやっぱり残った。

それは、自分が人文系エッセイをよく読んでいるからだろう。もともとこのジャンルはどれだけ私生活や考えをさらせるかという、自己開示の覚悟がモノをいう世界だった。だから、ぼかして書いている自分には、人を傷つける覚悟も、自分が傷つく勇気もない。そんな風に感じてしまうのだ。

特に、ここ1,2年はさらにギアが上がった気がしていて、刺激的なストーリーがより強く求められている感じがある。ゴシップ的というか。もちろん、状況の過酷さに比例してその人の考えも研ぎ澄まされる傾向にあるので、一概にストーリーだけで評価されているとは言えないのだけど……。そしてそういう一冊は書き手の人生が乗っかっていて、やっぱり名著が多いからなんとも難しいのだけど……。

 

うーん、うまく話がまとまらない。自分の中で評価が揺れてるんだから当たり前な気もするが。ただなんというか、書き手と読み手の共犯関係に、少し疲れてしまっている。好奇心をそそるのではなく、その人の回復のための語りというのを尊重したいし、それを尊重しながらものを書く上で、人生をどれだけ晒せるかというベクトルとは別の道を探したいと思う。

 

その時に参考になるのは、『その後の不自由』にもあるような当事者研究の言葉であったり、あるいはここで書いた星野概念さんや、桃山商事の『生き抜くための恋愛相談』のような姿勢なのかもしれない。まだ具体的なところは何も考えられていない、予感程度のものだけど……なんて考えていたら、来月B&Bで星野さんと桃山商事の対談があることを知った。さっそくチケットを購入。移転してからB&B行けてないし、楽しみ。