ジム・ジャームッシュ『パターソン』、冨永昌敬『南瓜とマヨネーズ』感想

もう水曜日のことになってしまったけど、目黒シネマで『パターソン』『南瓜とマヨネーズ』を見た。僕が恋人と一緒に映画を見に行こうとする時、こうしたヒューマンドラマ系は「DVDでよくない?」とやんわり却下されてしまうのだけど、今回は恋人のほうからこの2本立てを提案してきた。どちらも気になっていたけど見逃していて、『パターソン』は前日にNetflixで探してヒットせず、DVD借りるしかないかあ、と思っていたところだったのでうれしい。

昼をまたいでの上映になるので交差点のファミマでサンドイッチやら飲み物やらを買い、劇場に入る。寒の戻りのような雨の日で、客入りはそこそこ。座るなり恋人が「目黒シネマって好きな場所トップテンに入るな」とつぶやく。1位は豊島美術館でしょ、と当てるとうれしそう。あの静けさとつるつるとした肌触りを思い出す。また行きたい。

 


パターソン(字幕版)

まずは『パターソン』。アダム・ドライバーの表情が絶妙。あの奔放な妻・ローラに対して怪訝な表情を浮かべているのかと思いきや出てくるのは肯定的な発言だったりして、その読めなさに最初は戸惑った。でも、映画を見ているうちに「ああ返事はそっけないけど気分が悪いわけではないのだ」ということが理解できてきたりして、すごく人間くさい演技だなあと思う。アダム・ドライバーってとても魅力的なのだけどちょっと『テラフォーマーズ』に出てくる人型ゴキブリに似てて、要するに(?)無表情の時の「無」の度合いがすごい。でも、その朴訥とした感じがパターソンの人物像にぴったりだし、だからこそ少し口角が上がったり目が陰ったりするのを見逃したくないと思わせる。そしてその微細な変化に目を向けるというのは、映画のテーマにも重なってくる。

『パターソン』は詩を書きながら暮らしているバスの運転手のある1週間の話で、パターソンとは主人公の名前であり、映画の舞台になる街の名前でもある。パターソンは毎日6時過ぎに起きて、隣でまだ眠っている妻のローラの肌に口付けて、腕時計をはめて、家を出て、始業前にバスの運転席でノートに詩を綴り、乗客の言葉に耳を傾けて、日が暮れる前に家に帰って、なぜか傾いているポストを直して、ローラの作ったご飯を食べて、犬の散歩に出かけてバーで一杯飲んで、家に帰る。あらすじにしてしまえばまったく同じになる日常を、パターソンは繰り返している。でも、たとえばバスの乗客のおしゃべりや、夜の散歩の途中で出会ったラッパーの言葉、詩を書いているという少女が読んでくれた詩の響き、バーにいる恋人たちの別れ話……そういったあらすじからはこぼれ落ちる些細なものごとが日々を彩っていて、パターソンはそれらに静かに美しさを見出している。

正直にいうと、寝不足だったこともあって途中ちょっと寝てしまったのだけど、この退屈で穏やかな時間の流れを、かけがえないと思った。シーン一つ一つに意味や意図があるのかもしれないのだけど、そうしたものを漏らさず観察することよりも、たっぷりとした時間が流れていくことが大切にされている感じ。そして意味の答え合わせではなく、解釈に景色が委ねられる時、私たちは詩人になるのだとも思う。

そんな退屈だけど充足した日々が木曜日までは続いて、金曜日は少しいつもと違う。バスが故障してしまい、パターソンは道の途中で乗客を下ろして立ち往生してしまう。落ち込んだパターソンが家に帰ってことの顛末を話すと、恋人は「新しいバスを買ってあげるべきだわ」と言い、彼は「それはないよ」と返す。パターソンは時代に抗うようにスマホを持っていないし、何か古いものに固執しているように思える。この一種の諦めのような仄暗さはなんなのだろう。映画を見終えてからもずっと考えていたのだけど、ナガさんという方のこのブログの解説がとてもわかりやすかった。

www.club-typhoon.com

 

色々と調べても「日常の美しさが〜」とか、「映画自体が詩のような〜」とか、そういう「感じる」系の感想ばかりで、自分にもそれはわかるけどそれだけでは重要なものを見逃しているようなもやもやした感じがあって、でもこの解説を読むとそのもやもやにすっと筋が通った気がした。このブログを読むと、多くの人が捉えている日常の肯定とは真逆のメッセージ性が込められていることになる。

日常の美しさを感じることはかけがえのない感覚だけど、一方でそれだけでは生き抜くことができない危機も訪れる。それがバスの故障であり、愛犬にばらばらにされた詩のノートなんだろう。「日常を肯定し、素朴に暮らす」というのはこれからの日本のように先細りの未来を生きていく上では必須の能力でもあるし、そういうものを肯定するムードがあるから、多くの人が誤読、というか、「日常は美しい。でも、理想を追い求めろ」というメッセージの「でも」以降をスルーしてしまったのだろうなあ。

 

 


『南瓜とマヨネーズ』予告編

 

それから20分程の休憩を挟んで『南瓜とマヨネーズ』。フリーターで音楽を追い続けるとか、体を売って彼氏を支える女の子とかって、あんまり今っぽくない設定だから、これがどうして今映画化されたのだろう? という疑問を感じてしまって、少し入り込めなかったのだけど。でも、ラストでせいいちが「意味とかないから」ってしきりに言いながらツチダの前で歌う歌は、どれだけ言い訳をしていてもやっぱり意味を持っていて、差し込む光もやわらかくて美しい瞬間だった。なんていうか、叶わなかった道の一番純粋な欠片が迷い込んだみたいな、そういう切なさと、未来の肯定があって。

そしてこれも先ほどの解説を読むと、『パターソン』と二本立てで上映された意味がよくわかる。ツチダは現在(せいいち)の生活に固執し、過去(ハギオ)に足をとられながらも、最後はどちらも手放して未来へと向かっていくのだ。

 

映画館を出ると雨は雪に変わっていた。