小沢健二「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」感想

先んじて公開されていた歌詞を見て、映画『リバーズ・エッジ』の主題歌だと聞いて、静かなバラードを勝手に想像していた。だからまっすぐ前に進んでいくような曲調に驚いて、そして涙ぐんだ。

 

オザケンの音楽は昔から好きだったけど、ここ最近の活動にはどこか斜に構えてみてしまうところがあった。甘やかなメロディ、生きることの本質を突くような言葉。それは2017年に発表された『流動体について』『フクロウの声が聞こえる』という2枚のシングルにおいても遺憾なく発揮されていたのだけど、なんていうか、違うところを向いている気がして、お呼びでないんだな、と思ってしまった。あまりにも、90年代当時のオザケンを愛していた人たちだけを見ている気がして。自分は「ポンキッキーズ」リアルタイム世代だし、覚えてるのは「オナラで月まで行けたらいいな」とかなのだ。それも大人になってからWikipediaであれがオザケンだったことを知ったのだし、他のオザケンの登場回は記憶にない。もともとそんなにテレビをたくさん見せてくれる家ではなかったから、見ていなかったのかもしれない。過去の結びつきを持っていない自分のような人は、それを再確認するような近年のオザケンの発言にはしらけるものがあったし、無自覚にオザケンが「帰ってきた!」と騒いで輪に入るのも違う気がした。すごく好きな舞台作品があって、自分はそれを映像で何度も見て知ったつもりでいたのに、その続編で「会場の温度が〜」とか、「帰りの電車が止まってしまって〜」とか、追体験できない前作の思い出を聞かされてる感じ。あんまりいい喩えではないけど、その追体験のできなさ、一回性はおそらくオザケン自身もとても意識しているだろう。そしてだからこそもどかしい。

だから、去年のフジロックでもオザケンのステージは見なかった。フジロックオザケンなんて、悪趣味なほどめちゃくちゃ相性がいいと思う。年齢層もちょっと高いし、「伝説」が生まれる舞台としてふさわしいからだ。でもその水を向けられすぎている感じ、関わると否応無しに物語に参加させられてしまう感じに、こちらもむきになってしまって、引力からむりやり逃げようとしていたのだと思う。

 

でも、「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」には、その感覚が一切なかった。色濃く「あの時代の僕たち」を描いた作品であるにもかかわらず。

岡崎京子原作の映画『リバーズ・エッジ』の主題歌でありながら、そこで綴られているのは若き日のオザケン岡崎京子のきわめて私的な物語だ。詩を読んだ時は、ああちょっとまたダメかも、と思ったのだけど、それがオザケンの歌と、二階堂ふみ吉沢亮という映画の主役2名によるポエトリーリーディングによって再生された時、そんな予感はばらばらになって消えてしまった。これはもう、個人的な物語なんて枠を突き抜けてしまっている。

とにかくポエトリーリーディングが良い。若々しく、穏やかで、制御できなさのようなものを奥に秘めた二人の声は、色んな回路を混線させている。それは二階堂ふみ吉沢亮という二人の役者であり、ハルナと山田君という架空の人物であり、岡崎京子小沢健二という戦友達である。その関係性の中には自分と誰かの姿を重ねることもできて、超私的でありながら、自分もその景色を知っているような気にさせられる。そして回路の混線は時間軸でも起きていて、魔法のトンネルの先=現在とトンネルの手前=あの頃が、どちらともつかない場所から言葉が紡がれている。*1トンネルの先を知っている大人が過去を歌っているようにも聞こえるし、先を知らない若者が未来に思いを馳せているようにも聞こえる。でも、すでに答えを知っている、人生の白秋にさしかかった大人じゃないと、こんな穏やかな歌は書けないだろう。

あなたとわたしとか、過去と現在とか、本当と幻想とか、そういうものの輪郭って思っているよりずっと脆くて、お互いをやわらかに侵食しながら、ただ時間は流れているのかもしれない。そしてその混線は、この音楽がまるで自分のために書かれたもののように思わせる。それは、すごく美しいことだと思う。


「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」ティーザー映像

*1:カップリングが満島ひかりとの「ラブリー」のカヴァーだというのも、1994年と2018年の混線だと考えたくなる