あるひどいこと、友人たちに救われたこと

先週末は本当にひどいことが起きて、食事ができない、睡眠ができないという精神状態にまで追い込まれた。気分が重くて涙が延々流れてくることはこれまでにもあったのだけど、涙がうまく出てこない。泣くとストレス物質が涙になって排出されるそうで、自分は涙腺がゆるいから、わりとハードなこととかあっても精神的なバランスがとれていたのだな、と思った。

土曜の夕方にその「ひどいこと」は起きて、思い違いかもしれないと考えながらも、時間が経つごとに否定できなくなっていく。2日経った月曜日の夜、ああもう本当に起きてしまったんだ、これからのことを考えなくてはいけない、と完全に諦めた頃、勘違いだったとわかった。全部杞憂だった。*1

 

不安に支配されていると、時間が全然過ぎないことにひたすら疲れたかと思うと、次の瞬間には考え事に没頭して1時間あっという間に過ぎていたりする。日曜の日中はそんな感じで、騙し騙し本や漫画を読んでいたのだけど、いよいよそれでも耐えきれなくなり、友人に連絡をした。「ひどいこと」について、自分は誰かにずっと相談したり、愚痴を言ったりしたかったのだけど、どうしても言えなかった。でも、もう一人で抱えているのは限界だった。

電車を乗り継いで友人カップルが暮らす街へ行く。駅前でお酒を買い、迎えに来てくれたNさんと合流する。15分ほど他愛もない話をしながら歩いて、二人の家へ。家ではHさんが「気になって買ってみたご飯にかけるシチュー、ネットで調べたらすげー評判悪かった!」と笑いながら、そのご飯を出してくれる。いきなり押しかけたので、本当に気取らないおうちご飯って感じだ。だけどとてもおいしかった。「圧力鍋で作ったからやな」と、最近買った圧力鍋の話をするので、ほしいなあと思いながら食べた。

ご飯を食べてお酒を飲んだだけでだいぶ気持ちがリラックスしたのがわかる。寝てなかったこともあって若干眠い。これだけで十分だったかも、と思うくらいだったけれど、「破滅的なことがあった」とラインして押しかけたし、話しはじめる。

二人は驚いていたけれど、引くとか、怒るとか、そういう感じではなかった。自分も慎重に人を選んで話したけれど、それでも場合によってはそういうネガティブな態度をとられる可能性もある話なのだ。でも、二人はそのこと自体というより俺のことを気にかけてくれて「どんな選択をしても自分たちは気にしないし、まわりに何か言われても気にしなくていい。したいようにすればいい」というようなことを言ってくれた。誰にも言っていなかったから、勢いでつい喋り過ぎてしまった気もするけれど、嫌な踏み込まれ方をすることもなかった。その話を軸にしながらも、ずっと深刻なトーンにはならず、時々脱線したり、笑ってくれたのもよかった。

「大変だったね」と言われた。自分は「つらかったんだと思う」と言って、ひどいことが起きてからはじめて泣いた。

二人は駅の改札まで送ってくれて、「つらくなったらすぐおいで」「次はこんなに溜め込む前に」と言ってくれた。そんなこといつもはしないけれど、それぞれとハグをして別れ、地下鉄に乗る。

誰かを頼るのは苦手だった。信頼する人だからこそ話したいという気持ちと、信頼する人に負担をかけたくない、という気持ちがぶつかった結果、いつも後者が勝っていたし、自分は強い人間ではないから、甘えたらずるずるとたくさん甘えてしまいそうだとも思った。それに加えて、そこで言われたアドバイスがもし微妙だったら嫌だな、という、若干上から目線みたいな考えもあった。

でも、実際に頼ってみると、そのアドバイスが少し違うな、と思ったとしても気持ちは伝わるし、そんなのはごくささいなことに過ぎないんだとわかった。たくさん甘えてしまったらとも考えたけど、もともとの性格が遠慮がちなのでいきなり甘えることもなさそうだった。

意地にならず、勇気を出して、弱い自分のことを話してよかった。事態が変わらなくても、煙のように立ち込める不安が晴れるだけで、こんなに違う。もっとひどいことが起きても、生きていけるんじゃないかという気がした。

 

月曜の夜、二人にも勘違いだったことを伝える。お騒がせして申し訳なかったけれど、自分がなかなかできなかった誰かに頼ることができた気がして、そういう意味ではよかったかな。返事のラインでも二人は事態そのものと同じくらい俺の気持ちを意識してくれていて(なかなか人を頼らない性格もわかってくれている)心強かった。

*1:マジで何を言ってるかわからないと思うのだけど世の中にはそういう類の「ひどいこと」があるのだと思って、想像しうる一番最悪のできごとを代入して読んでみてください。