僕たちが絡め取られている文脈の危うさについて

金曜日、朝からSkypeである職人の女性に取材をした。

その人は現在、地方に移住して現在見習いとして仕事をしている人で、職人の見習いながら一般的な会社員に近い雇用形態で働いている。「自分が作りたい作品はこれだ」と強く思った会社が、たまたまそういう雇用形態だったのらしい。

いわゆる職人の見習いというと、休みが全然とれなかったり、生活の面倒は見てもらえるけれど給料はわずか、という印象がある。現在の会社に行き着くまでにはそれこそそういう職人への弟子入りも考えたというが、別のインタビューで「なんとなくしっくりこなくて」その環境は選ばなかった、と書いていた。この取材で少し詳しく聞いてみると、最初に話に出たのは職場環境の話だった。

実際の理由は作っている作品と自分の方向性のずれとか、色んな観点から考えた総合的な判断だったようだけど、労働条件が最初に出たことからも、やっぱりウエイトが大きかったのだろうと感じた。そこで「今の会社(自分がこれだ、と思う作品を作っている場所)がきつい労働環境でも、入っていましたか?」と聞いてみる。その人は特に言いよどむことなく「あまり働き方のことは考えずに飛び込んじゃったんですよね!」と答えた。

取材を終え、あの質問で自分は、一体どんな答えを期待してたんだろうと考える。「たとえ過酷な環境でも、絶対に飛び込んでいたと思います」だろうか。きっとそうだ。でも、それって良いことなんだろうか? 

そう考えて、冷や汗が出た。一人前になる日を夢見て、厳しい修行のような日々に耐える見習い。その旧態然とした姿を、自分はどうやら、ドラマチックなものとして思い描いていたらしい。どんなにやりたい仕事でも、避けられるなら過酷な労働環境は避けたほうがいいし、仕事に対してはきちんと対価が支払われるべき。そう思っていたはずなのに、無意識の中に滅私奉公的な働き方を美化する考えが残っていた。めちゃくちゃ恥ずかしい。原稿にする前に気づけてよかった。

*

夜、金曜ロードSHOW!でやっていた『魔女の宅急便』を見た。断片的には知っていたのだけど、ちゃんと見るのははじめてで、よくこの映画の話になった時に話題に上がる「あたしこのパイ嫌いなのよね」というセリフがどういう場面に言われているかもはじめて知った。なぜかキキが気だるそうに言うんだと思ってた。

この発言については、「あんなに優しいおばあさんのパイを無下にするなんて!」とか「実際に作ってみたけどおいしい!なんで嫌いなの!」とか、孫の女の子に対する否定的な意見が目立つのだけど、自分はそうは思えなかった。優しいおばあさんの手作りの料理、雨に濡れながら一生懸命運んだ少女、という絵は、視聴者の目に圧倒的に「正しく」映ってしまうけれど、嫌いなもんは嫌いなんだから仕方がない。どんなに正しく見えたとしても、立場が変わればうつろうもので、絶対ではないのだ。

なんとなく、普段そうした「正しさ」について慎重になっているような人たちの中にも、このパイに関してはスイッチが起動していない人が多い気がした。もちろん、別にこの孫を許すことが正しいと言いたいわけでもないし、誰かの側に立って一緒に怒ることだって大切だと思うけれど。無意識のうちに僕たちが絡め取られている文脈ってきっとたくさんあるから、ひとつひとつ気づいていくことを忘れてはいけないな、と思った、という話。