宇多田ヒカルの楽曲がサブスクリプションで配信開始されたので、新曲「あなた」と合わせてこの週末はよく聴いた。「はじめての宇多田ヒカル」のようなApple Music恒例のプレイリストや、Twitterなどで友人たちが好きな曲をシェアしているのを見ると、新しい見方が広がるからいい。新曲とも並べて聴いてみたくなる。

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アルバムはすべて持っているのだけど、2014年に発売された『First Love』のリマスター盤は未視聴だった。たしか当時音楽誌で「90年代にリリースされた邦楽の本格的なリマスターはこれがはじめて」という紹介のされ方をしていて、完全生産限定版のパッケージにはファーストライブのDVDやリミックスが入っていてとても気になっていたのだけど、コレクターズアイテムらしい値段の高さもあって手を出さずにいた。今見てみると、なぜか『バグダッド・カフェ』の主題歌「CALLING YOU」のカヴァーなんかも収録されているようだ。まだ10代半ばの宇多田ヒカルのフレッシュな歌声でのカヴァーはとても気になる。が、配信リストにこうしたボーナストラック類は含まれておらず、純粋にアルバム・リマスターのみの配信。それでも十分嬉しいけど。
90年代のポップスって今になって聴いてみると思いの外ぺらぺらで、中音が強く、それが逆に魅力的でもあるのだけど、リマスターによって一つ一つの音が立体的に、そして高音と低音がはっきりした感じがする。低音には空気の振動を伝えるような臨場感が宿り、シンセサイザーはとろけるような浮遊感が増した。表題曲「First Love」はより澄んで、音と音の間の距離が広がった感じ。より個人的で、ひりひりした痛みを残しているのはオリジナルのミックスだと思うのだけれど。リマスター版は思い出補正がかかった、大人が当時を振り返りながら聴く音楽って感じだ。どちらが良いという話ではないし、今や連続して再生するのも超容易なので聞き比べてみると色々発見があって楽しい。

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宇多田ヒカルの言葉」という歌詞集が発売されたそうで、吉本ばなな最果タヒなどが寄稿していることもあって気になっている。Jポップのど真ん中に存在しながら、宇多田ヒカルの歌詞は「誰にも似ていない」と言われる。口語体、慣用句やことわざを交えた言葉選びの独自性は、確かに似ている人が見つからない。「年賀状は写真つきかな(Passion)」「就職も決まって 遊んでばっかりいらんないね(Stay Gold)」のような妙に具体的な歌詞は、Jポップのお決まりを逸脱しながら聴く人に確実に場面を想起させる。

自分が最初にその特異性を意識したのは「Movin’on without you」という曲。サビのコーラスで宇多田ヒカルが「ホームラン! ホームラン!」と叫んでいて、("Movin’on without you"だから「かっ飛ばしてあなたから遠くへ」的な意味なのかな、面白いな)と思ったのだ。後日、あのコーラスは「Movin’on」と歌っているだけだったと知る。完全に聞き間違いだった。リマスター盤でもやっぱりホームランにしか聞こえない。

ちなみに、間違いに気づいたのは新宿二丁目で友達が歌っているのを聴いた時だった。あの「Movin'on」を歌っている人以外で絶叫する、という風習(?)があるのだ。

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新曲「あなた」ももちろん聴いている。サム・スミスやアデルを彷彿とさせるアプローチで、思い切り寒い日に聴きたい。「あなた以外なんにもいらない」からはじまるパートのi音で踏むリズムがとても心地よく、かつ切ない。燃えるような感情なのに何か「愛する」という行為を自分の意思で選び取っているというよりは、導かれているようなところがあって、不思議な歌詞だなあと思う。これまでの宇多田ヒカルなら「愛すること」「愛されること」をめぐるあれこれについてもっと逡巡していた気がしたけれど、「あなた」には「愛すること」への迷いがない。そして「愛されること」への意識がない。最初は恋愛の歌だと思っていたので、それがものすごくエゴイスティックに感じたのだけど(相手が愛するということが抜け落ちていたから)、子どもに向かって歌ったのだと考えると辻褄があった。幼い子どもという絶対的に自分を必要としてくるものが相手だとすれば合点がいく。そしてその感情は『Fantome』で描いた母親への思慕が輪廻しているような印象も受ける。

「愛すること」について、迷ったり、過剰にありがたがったり、自己批判に陥れば「あなた」というタイトルにはなり得ないだろう。途端に「わたし」が現れてしまうからだ。「わたし」不在の愛の歌。

 

来年はアルバムの発売や全国ツアーも予定しているという。ツアーは絶対行きたいなあ。