焼き付けたからもうそれだけで胸がいっぱい、と思った記憶でも、記録が残っていたらやっぱり見てしまう。でも、それにどう向き合うのが正しいのだろう。Amazonから届いた『Cocco 20周年記念 Special Live at 日本武道館 2days ~一の巻×二の巻~』を手に取りながら、少し考え込んだ。

この作品は、その名の通り20周年を迎えたCoccoが今年の7月に日本武道館で行った2日にわたるライブを収録したものだ。僕はそのどちらともを見に行った。デビュー時のバンドメンバーと往年の名曲を歌い上げた「一の巻」は一人で、近年のメンバーとともに「現在のCocco」を提示した「二の巻」は恋人と一緒に。座席は、一の巻は二階席のステージに向かって右側の中段くらい。二の巻は二階席正面の最前列で、歌っている時の表情までは見えないけれど、踊ってみせた時のしなやかな動きやめまぐるしいライティング、バンドの様子がよく見えた。二日とも終演直後の混雑を避けたくて、市ヶ谷駅まで歩いて帰った。晴れた夜で、7月だけれどそんなに暑くはなくて、市ヶ谷駅の線路に並んだ水堀が街の光を反射してきれいだった。二日目は恋人と靖国神社でやっていたお祭りを少し見て、客のまばらな店でアジアン料理を食べて帰った。たくさん感動したあとの、景色が冴えて、音が静かに聞こえる感覚を、今も覚えている。他の記憶と混ざったり、時間が経って思い出さなくなったとしても、決して忘れないだろう。そんな気持ちになる二夜だった。

 

いつもは自分が行ったライブが映像化することについて、こんなに深刻に考えない。むしろライブよりも冷静に細部を見られるし、いつでも再生できるし、映像化には基本的に賛成派なのだ。それがどうしてこのライブについてはそう思えないのかというと、11月に発売された「SWITCH」のインタビューを読んだからだ。
デビューから2001年の活動休止までの間、「SWITCH」はCoccoを何度も特集してきた。活動を再開してからは一度もCoccoを特集したことはなかったが、20周年の節目となるこのタイミングで、これまでの特集を担当した堀香織さんの8時間に及ぶロング・インタビューが掲載された。彼女はここでこれまでの思いを一つ一つ語った。「一の巻」は昔からのファンへのお礼とお別れのライブであったこと、「二の巻」は自分の現在のためのライブで、その二つで20年を総括しようと思ったこと。そして、この夏を最後にもうステージに立つのはやめようと考えていること。

Coccoが身を削りながら歌っていることはステージに立ち歌う姿を見れば伝わってくるし、それがどれだけ過酷なことかは、これまでも別のインタビューで語られていた。「歌をやめたい」と語るのも、これがはじめてではない。手元にあるわけではないので詳細は確認できないのだけど、アルバム『プランC』を発売した時の雑誌『パピルス』のインタビューでも、もうライブはやらないと話していた。でも、次作『アダンバレエ』では全国ツアーを行ったし、こうして武道館にも立った。それなら、と期待したくもなるのだけど、Coccoは動揺する堀さんに、ライブをやめる理由を「ファンに対する責任を果たした」からだと答えた。「辛いから歌いたくない」を抱え続けて、辿り着いた「責任を果たした」という実感。その言葉の重さには、見過ごせないものがあった。

 

ビニールを破いて、ブックレットの写真を眺める。最後のページのスタッフクレジットにはSpecial Thanksとしてこう綴られていた。
「私を捨てた人へ、私が捨てた人へ、私を残して死んだ人へ、
 私を愛した人へ、私が愛した人へ、私の愛した美しい世界へ、
 ありがとうとさようならのキスを込めて。」
これは、ファーストアルバム『ブーゲンビリア』の歌詞カードに書かれていたものと途中まで同じだ。ただ、20年前、「私の愛した美しい世界」は「美しい島」で、キスはただ「心からのキスを込めて」とだけ書かれていた。長い時を経て世界は広がり、そしてはっきりと感謝と別れが綴られている。

 

Coccoがどんな思いでこのライブに向き合ったのかを知ってしまった今、どんな風にこの映像と向き合えばいいのか、戸惑ってしまったのかもしれない。ただでさえ彼女のパフォーマンスは覚悟しないと見られないものだし、実際に体感したライブは両日ともに圧巻だった。いつでも再生できるけれど、生半可な気持ちで見てしまっては、あの夜の感触まで損なわれるんじゃないか。「これが最後かもしれない」と思うと、臆病になった。

 

一夜明けて、意を決して「一の巻」のディスクに手を伸ばす。「Coccoがバンドメンバーがハグをするバックステージの映像のあと、鳴り響く拍手の中をCoccoがステージへと裸足で駆けていく。「カウントダウン」のイントロが鳴る。そこからはもう、一瞬だった。若かりし日の激情を封じ込めた歌をスパークさせながら、声には幾星霜を経た者の強さが滲む。バンドも迫真の演奏で、それを彩る。あっという間に2時間が終わり、続けて「二の巻」を見た。「一の巻」に比べると重い機体がゆっくりと浮上していくような印象で、序盤は安定していないように思えたが、中盤からは歌がどんどん鋭さと眩しさを増していった。

カメラワークに、Coccoの思いがみてとれる気がした。今回、かなり引きからのアングルや客席間からのショットが多く、自分も見ながら「あ、この角度からライブを見たな」と思い出す時がいくつもあった。あの場にいた人はみな、そういう「自分が見た景色」を映像の中に発見したのではないだろうか。
歌を聴いている観客を数秒ずっと映す演出も多用されていた。個人的には、観客のアップは映像を見ている最中に鏡を見せられるようで、我に返ってしまうので苦手なのだけど…。でも、カメラ=眼差しに込められた意味は、なんとなくわかる。それは「みんな」ではなく「一人ひとり」であるということだ。
DVDではカットされていたのだけど、1日目のMCで彼女は活動休止の時、ライブやリリース情報を知らせるためのDMリストを盗んで逃げたと笑いながら話した。そうしてその名前をすべて大学ノートに写して、一人一人の名前を読み上げた。「みんな」としか呼べないことが苦しかったから。そう話した。
全員を映すことはできないけれど、「みんな」じゃなくて「一人ひとり」であることを伝えることはできる。その手段として、観客を映したのではないかと思う。その割には女性が多くて、男性もいたよ!とはちょっと思ったけど。

 

それにしてもDMリストの話しかり、MCは大幅にカットされていた。でも、残されなかった時間があることは、思い出を、人の想いを、強くするだろう。だから、これでいいとも思う。

 

「二の巻」で「有終の美」を歌い終えたあと、Coccoは静かに泣きながら深くお辞儀をして、メンバーとともにステージを去った。その涙にはいろんな意味があっただろう。でも、本気で終わりにしようと思っているんだな、ということは感じ取れた。また戻ってくるのかもしれない。でも、これが一つの区切りで、重い荷物を降ろしたことに変わりはない。

彼女の音楽はいつも別れと、その先も続いていく人生を歌ってきた。愛する人を守るために海原へ出ても、宝島に着けばもとの景色を忘れる。儚いけれど、それが人の強さでもある。変わっていくこと。生きている限り、続いていく限り、それは免れることができない。だから「永遠を願うなら/一度だけ抱きしめて/その手から 離せばいい」と歌う。瞬間の中にこそ永遠がある。4時間に及ぶ二夜の歌の記録には、圧倒的な瞬間が数え切れないほど散りばめられていた。その永遠が、人を前に進ませる力になる。「私は大丈夫」と歌いながら。