住民税が高すぎて今月は完全に赤字なのだけど、今年の夏はやっぱり開襟シャツを着なくては、そう思って土曜日は渋谷をぶらついていた。普段あまり着ることがない暖色系のものがほしくて探していたら、たまたま入った店で薄いピンクのシャツを見つけた。ピンクとか、オレンジがほしかったのだ。少し光沢のある深緑色のシャツも一緒に陳列されていて、気になったのであわせて試着してみることにする。

まずは深緑を着て、試着室のカーテンを開けて店員さんといろいろ話したあと、ピンクを着てみる。単純な色違いではないみたいで、サイズ感含めて自分はピンクが好きだったのだけど、何を言っても店員さんが深緑を買わせようとしてくる。

「ピンクだと優しそうな感じですけど、深緑のほうが男っぽくて良い感じですよ」

いかんせん男っぽさを求めていないので、その言葉がまったく響かない。でもまあそれはまだよくて、普段は何色の服が多いのか、という話になった時に自分が「普段は落ち着いた色の服が多いので、たまには明るい色が着たくて」と暗にピンクが気に入ってることをほのめかしたら「いきなりいくと驚かれるんで、まずは深緑くらいからはじめたほうがいいっすよ」と返される。すげー返しだな。そんなに似合ってないのか。でも、これは意地を張ってるとかではなくて、鏡を見て自分でもピンクが似合ってると思ったから欲しいのだ。だけどいざ否定されると「もしかしたら自分が似合ってると思っているだけで、本当はマジで壊滅的に似合っていないのかもしれない」と思わないこともなく、かといってはいそうですかと深緑を買うのも癪だな、と思って、それぞれ3回くらい試着したあと「もうちょっと考えます」と言ってどっちも買わずに店を出た。自分の優柔不断ぶりにうんざり。「ピンクもお似合いですけど〜」みたいな一言があれば買ったのに! と思ってしまうのも情けなくて自分に腹がたつ。自分の感性を信じてあげられない。良いと思っているものが人にとっては全然そうではないんじゃないかとか、理解されなかったりするんじゃないかという、エイリアンのような感覚がぬぐいきれない。

 

先月中旬からライターとしての仕事も順調で、自分1人で書いて、提出するということをたくさんこなしている。その中でも、基準にすべきものがわからなくてよく右往左往している。だけど基準にすべきものはいつも、最後は自分の心や審美眼なのだ。右往左往する中で、何かを諦めるみたいにしてそのことに気づいた。

 

結局シャツは翌日の日曜日に恋人と出かけて買った。恋人は普通に褒めてくれた。そのことで安心したとかそういう表層的なところではなくて、もっと根っこの部分で、自分が良いと思うものをきちんと良いと感じられるようになろうと思いながら買った。本当に些細なことだけど、こういう些細な肯定感を積み重ねて、人はエイリアンから自分自身になっていくのかもしれない。