今週は月曜の朝からほとんどの人間が経験しないようなハードな体験をしてしまい、そのショックを引きずっていたのだけどとりあえず想像していたような大事にはならなそうでようやく安心した。

今年は後厄でハードボイルドなことが次々起きているのだけど、それは周りの大切な人に何かが起きて、それについて翻弄されることばかり。当事者だけど一番大変な人ではないので支える側にまわるのだが、まあ支えるのもそれはそれできついし、本人のことを考えると弱音も吐けなかったりして相当しんどいこともある。でもどれもぎりぎりのところで最悪の事態にはなっていなくて、ちゃんとお祓い行ったからなのかな、と玄関に飾った木札に手を合わせてみたりする。厄払いに行くべきは自分ではなくまわりの人なのでは?というつっこみは今は置いておきつつ。

 

自分個人のことについては案外順調だ。仕事でミスしたとかはあったけど。。これからでかいのがくるのだろうか。そうなった時にちゃんとしていられる人でありたい。ただ自分が強くあるというだけではなくて、寄りかかれる人がいることを忘れない、という意味で。

 

自分は文章を書くし、つらいことが起きたら(いつか書いてやるからな)と復讐心のようなものを燃やして耐えることができるのだけど、本当に書くかどうかは微妙だと思っている。言葉が、ではなくて、純粋に事実が拡散することがあまりにも大切な人を傷つけてしまいそうだからだ。そんなんでいいのか、と問い返す声はいつだって響いてくる。覚悟が決まっていないだけなのかもしれない。でも、「不幸でなくちゃ面白い文章は書けない」という考え方に能町みね子さんが反旗を翻しているのともどこか重なり合うような感覚で、大切な人を不幸にしてまで書く文章ってなんだよ、と思う。ろ過して、大事なものを守りながらそこで得たこと、泣いたことを伝えられる文が書きたい。甘いかな。

 

昨日で父が亡くなって1ヶ月だった。葬式の日もこんなよく晴れた日だったな、とまるで遠い日のことのように感じる。退屈な夜に酒を飲みながらもうこの世にはいないのか、とふと思って泣けてくることもあるのだけど、もう会えないということへの悲しみよりも「死」というものの得体のしれなさ、無慈悲さにパニクる気持ちが大きい感じ。受けた愛情に比べて自分の心の中で父が占める部分というのは少なかったのだな、と、もう更新されない関係性のことを思う。悔いが残っているというのともまた違っていて、でもこのうっすらとした虚しさとはずっと付き合い続けていくのかもしれない。

 

ブログにあれこれ書きたいのにちゃんと聴き込めてない音楽がいっぱい。映画も先週末に『メッセージ』を見たけど今週はもうそれどころではなかった…

聴いてるのはtofubeats、Yogee New Waves、Lil Yachty、突如リリースされたMajor Lazorなど。フジロックのステージ別ラインナップが発表されて、BjorkとMajor Lazorが被っていて悩ましい。単純にこの2組を比べたら今は断然Major Lazorが見たいんだけど、Bjorkもアルカを連れてくるらしいからなあ…

Lil Yachtyはジャケットが最高にかっこいいのと最近客演で名前をよく見るので聴いているのだが、相変わらず自分はヒップホップについては聴きわける耳を持っていないなーと思う。「好き」「よくわからない」くらいしか判断できない。リリックの意味がわかれば違ってくるんだと思うけど。中断していた英語の勉強またはじめるか…

tofubeatsはこれまでの客演が豪華でカラフルだったメジャー2作品から意識的に転換していて、オートチューンの寂しさと無機質さに残滓のような甘酸っぱさが漂う、青春の終わりと時代の変化がリアルにシンクロしたような作品。彼のファンでこういうものを求めていた人は多いのではないか。「LONELY NIGHTS」がとても好きで、歌い出しの「寒い夜や暗い日々が寂しいだけじゃないって知ってた」は宇多田ヒカルtime will tell」の「泣いたって何も変わらないって言われるけど 誰だってそんなつもりで泣くんじゃないよね」と同じくらい優しく平易に悲しみを肯定していて、励ますのではない方法で聴く人に前を向く力があることを思い出させてくれる。名フレーズだと思う。

www.youtube.com