星野源『MUSIC VIDEO TOUR 2010-2017』


星野 源 ‐ Music Video Tour 2010-2017【Blu-ray&DVD Trailer】

土曜日の夜、星野源『MUSIC VIDEO TOUR 2010-2017』を恋人の家で鑑賞。

まず、こうしてちゃんと編集・構成されたMV集ってなかったよなーと思う。ちょっとMTVとかSSTVとかがやるアーティスト特番に近いかもしれない。

 

MV集って、だいたいリリースされた順に並んでるだけとかが多い。特典として撮り下ろし映像やメイキングがついていればまだいいほうで、今となってはYouTubeとかで見られる映像がパッケージ化されただけ、というのも珍しくはない。それでも、ファンとしてはパッケージやメニュー画面のデザインとか、そういう細かいところにいちいちテンションが上がったりもするのだけど。要するにコアファン向けなのだ。

最近はMVにめちゃめちゃ凝っているアーティストもいるけど、でもどちらがメインかといわれると音楽だ。それはクオリティではなく、順序の問題として。MVのために音楽を作るのではなく音楽のためにMVを作るので、そういう意味ではどれだけ手をかけていてもMVは派生品ということになる。だから、それをまとめて作品化できるって製作の手間がかからないし、いじわるに言えば「おいしい」商売に思える。

今の星野源なら「おいしい」MV集を出しても全然売れただろうし、あと彼のYouTubeはMVがフルでは見られないようになっている(曲の2コーラス目で星野源が登場し、CDの解説をするのが通例)から、フルでMVがまとめて見られる、というだけで価値があると思う。

でも、『MUSIC VIDEO TOUR 2010-2017』では星野源がMVの裏話とか、当時の心境とかを話す映像が撮り下ろされている。その話を聞きながら「では見てみましょう」という感じでMVが挿入される構成だ。この映像も多分1日とかでだらだらと話しながら撮られたもので、MV本体に比べればそんなに手間はかかってないと思うんだけど、ファンのツボを突いているし、量が多い。時にはイデビアン・クルー主宰の井手茂太MIKIKOといった彼のMVに関わっている人をゲストとして呼び、他では聞くことができないエピソードを披露しつつも、話に熱中して曲振りを本人が忘れてしまっている様子も収められていて。ゆるさを残しながら、その中に星野源の作家としてのこだわりが垣間見える。

先日放送された『おげんさんといっしょ』では「偏愛」が一つのキーワードになっていたけど、まさに星野源を「偏愛」する人々を見据えた作品に仕上がっていた。

 


星野 源 - くせのうた 【MUSIC VIDEO】

ソロファーストアルバム『ばかのうた』のリード曲として作られた「くせのうた」のMVを見ては、「1枚目のアルバム出して終わる予定だった」「とにかく予算がなくて8mmフィルムも必要なぶん買えなかった」などの今では信じられないような、2009年のaikoとのフライデーで「20代の一般男性」と報じられたことの信憑性を裏付けるようなエピソードを披露し、セカンドアルバム収録「日常」のMVでは、「セットが組めてるから多少予算が出てる」だとか、このアルバムの制作時が震災直後だったことなどを話す。あの頃は当たり前だった自分達の生活が簡単に揺らいでしまう、という空気があった。そんな中で震災直前にリリースされた「くだらないの中に」には日常を慈しむ目線があって、それが大勢の人の心に響いたんだよなあ、ということを思い出したり。

続く「フィルム」のMVでは「ゾンビが日常的にいる世界」を描いているけど、ゾンビ役のキャストがたくさん出ていて、スケール感が明らかに大きくなっている。「夢の外へ」ではイデビアンクルーの井手茂太がMVに出演。夏フェスとかで聴いたなあ、懐かしい!と思っていると、隣で見ている恋人も懐かしいと言っている。思えばこの頃はまだこの人と知り合ってすらいなかったんだよなあ。


星野 源 - 夢の外へ 【MUSIC VIDEO & 特典DVD予告編】

収録されたMVは2010年の「くせのうた」から2016年の「恋」まで、全13本(+特典ディスクに2本)。これだけの月日が経てば、生活も時代も変わるだろう。星野源はその年月をファンが振り返るのに、自分も伴走する方法をとった。それはどのアーティストでもできることではないし、する必要もない、それが野暮に感じる人もたくさんいると思うのだけど、星野源という人に関しては、このやり方は大正解だなあと思う。音楽が純粋な音楽的評価とは別に、個人的な色彩を帯びるということを大切にしている人だから。

 

しかしこうして振り返ってみると本人のビジュアル、MVセットの華やかさなど色々変化している感じはあるのだけど、一番変わったなーと感じたのは星野源の声、あるいは歌い方だ。時代が下るにつれて、声をすごく張るようになっている。「SUN」以降はブラックミュージックに接近したことも影響していると思うけど、それが星野自身の立ち位置ともリンクしているように見えるのは間違いではないだろう。「くせのうた」、久しぶりに聴いたけどささやくようなトーンではじまるもんなあ。でも、そのささやきは当時の彼の心境(自分の声が嫌いだった、と語っている)とリンクしていて、自分の声が嫌いな人が、遠慮がちに歌い出す、という構図が作品の繊細な雰囲気を作りだしている。だからその彼が「SUN」「恋」でここまで堂々と歌っているのは、手応えとか、責任感みたいなものに裏打ちされてのことなのかもなあ。それらに裏打ちされないまま歌い続ける星野源がいる世界線があったら行ってみたい気もするけど、“社会現象”になった「恋」の続きも見てみたい。

歌声を追っても、MVのスケール感を見ても、それらについて語る星野源の話を聞いても、今が一番脂の乗っている時期だというのがわかる作品でした。