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うつには運動が良いから走れ、と言われても

GW明けから今日までの2日間、仕事がほとんど手につかなかった。特に今日が厳しく、書きたかった原稿や取材の電話などがまったくできず、今日が締め切りの一番小さなタスクをこなしたくらい。まあそりゃそうか、とも思う。父が亡くなってまだ一週間だし、自分としてはそれなりに満足のいく葬儀をできたとはいえ、疲れや無意識の動揺があるのだろう。

自分はかなり寝つきがいい方なのだけど、葬儀の前後は数時間ごとに目が覚めていたし、足を切断されたり借金取りが家の前に行列をなしていたりといった想像力がなさすぎる王道の悪夢を見ていた。日曜くらいからは逆に眠りは深いのだけどいくら寝ても寝たりなくて、体がだるく頭痛がする。急に暑くなったので体温調節がうまくいかず調子が悪くなってるのか、風邪ぎみなのか、精神的なものなのかいまいち判断がつかない。でも今日デスクにいる間ほぼずっと、胸に精錬されてない鉱物が乗せられているような息詰まる感覚があったので、精神的なものだろうと踏んだ。頭痛やここまでの倦怠感が伴ったことはなかったが、この胸のあたりのしんどさには覚えがある。

 

というわけで、今晩は久しぶりにランニングをした。葬儀の前後も含め、ずっと走ろう走ろうと思っていたのだけど億劫で、昨日も帰りの電車に乗りながら今日こそ走ろうと思っていたのに家に着いたら全然無理。結局3週間くらい空いてしまった。

久しぶりなのと、小雨がぱらついていたので無理せず3.5キロくらい。いつもと違うルートを、今週末のライブの予習も兼ねてD.A.Nの新譜『TEMPEST』を聴きながら走る。大げさな起伏のない洗練されたビートは、時折コンビニがあるくらいであとは街灯と信号くらいしか光っているものがない街道によく似合った。いつもの道とは違うところを走ったのも、発見があってよかったのかもしれない。

書いている今はさっきよりも雨脚が強まっているので、早めに切り上げて正解だった。走り始めた直後はまだ若干頭痛もあったので大丈夫かな、と思ったけれど、走っているうちになくなっていて、胸のしんどさも軽減された気がする。

運動、大事!とあらためて思う。学生時代から体育の成績は悪い方だったし、人とやる運動は未だにまったく好きじゃないけど(最たるものが球技)、ランニングと水泳は一人でできて、考え事をしたり、音楽を聴いたりできるからはじめやすい。文科系向きの運動だと思う。

しかししばらくランニングが習慣づいていた自分でさえ、調子が悪いと簡単に先延ばしにしてしまう。実際にその効用を体感していて、明確に走るべき理由があるのに、走らない言い訳はいくらでも見つかる。「うつには運動が良いから走ろう!」という文章をみるし、実際自分には効いてるからもっともだとも思うんだけど、その発言自体はやはりマッチョというか、そもそもそんな習慣がない人からすればいきなり走ろうとか言われてもハードルが高いし、効果も実感できてないからとても実行には移せないですよ…と思う。まして精神的に不安定な時に走れば解決するとか言われるのは拷問に近い。もうその時には解決するちからすら残ってないのだ。

でも、ランニングは病院のうつ病治療プログラムに取り入れられているところもあるし、やってみる価値はあると思う。なるべく元気な時に一度なり二度なり走って、自分が走れる距離やペースを把握しておくといいです。ランニングは行って帰ってこないといけないので、どのあたりを折り返し地点にするかをちゃんと考えておかねばならず、これが把握できないのは心配性の人間にとってはめちゃめちゃストレスになるので。まあ、自分は別にメンタルケアのためにランニングをはじめたわけではないのだけど、消えたい、死にたい、もういいの感情を回避するためのカードは一枚でも多い方が良いと思うので、備忘録も兼ねて。