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父親について思い出す時

父親について思い出す時、条件反射のように浮かぶのはアルコールで顔を真っ赤にして暴れている姿だ。そんな風にして暴れることは自分が大学生になる頃にはほとんどなくなっていたから、もう7、8年は見ていないことになるのだけど、幼少期の記憶というのは凄まじい。もうちょっと思い出してみると、ありがとう、と思った記憶に行き当たる。自分が推薦で大学に受かった時、普段怠け者なのに合格を聞いてすぐに入学金を振り込みに行っていたこと。登録手続きをした順に学年番号が振られるそうで、推薦入試の枠では自分が一番めなのは、なんとなくくすぐったかった。

でも、楽しい記憶ってほとんど覚えていない。ずっと昔、まだ富山で暮らしていた時に寝る前にお話を聞かせてくれたことはよく覚えているけれど、かぐや姫が月に帰る前に「本当の姿をお見せしましょう」と言って全裸になり、実は男だったことが発覚する…という、父親が自己流にアレンジした本当にクソみたいな内容で、小さな頃こそ大爆笑していたが今となってはろくでもなさすぎて「楽しい思い出」と素直に言えない。

 

自分がゲイだというのも、一つの障壁になっている。自分の性的指向はまだ学生のうちに姉や母に伝えた、というか勘ぐられてバレた感じで、でも別に何か言われることはなく受け入れられたので普通に恋人の話などもしていた。ただし、父親に対しては別だった。一人息子なので跡を継ぐことを期待されてるのをうっすら感じていたし、異性の親や姉妹に打ち明けるのと、同性に言うのとでは少しニュアンスが違う。どんなタイミングで言うべきか、そもそも言わずにおくべきか。ゲイの友人と話していて家族の話題になった日の帰り道など、ぼんやりとよく考えていた。

ところが、衝撃の事実が発覚する。実は母親は俺がゲイだと知って間もなく、父親にその話をしていたのだ。

うちの母親はちょっと思い込みが強いところがあり、「息子が同性を愛する人間だとしても、何も恥ずべきことではない普通のこと」という考えのもと、ある日父親に日常会話のようなテンションで息子がゲイであることを話してしまったのだという。こちらはいろんなことを覚悟したり躊躇したりしながら機会をうかがっていたのに…。後から聞かされてかなり驚いた。

ただしそれは、父親が自分がゲイだと知ってからも何も対応を変えなかったことを意味していた。

「それを聞かされて、親父はなんて言ったの」

尋ねると、母は少し声を小さくして教えてくれた。

「でもいつかは治るんだろ、って」

 

あらためて書くのも馬鹿馬鹿しいが、ゲイは病気ではないので治るとか治らないとかではない。でもそれを聞いた時、ひどいとか考えが古いとかよりも「あー、父親らしいなあ」と強く思った。この人は問題を先延ばしにして、考えないようにしているのだ。それはお盆の墓参りの時、富山から神奈川へ引っ越す時、住む人がいなくなった父の実家の処分の時、いろんな時に見てきた、面倒なことには手をつけない父の姿と、まったく同じだった。

一人息子が自分の家を継いでくれない、継げないというのはかなりショックが大きかったと思う。でも、じゃあ自分が女性と付き合えるかといえばそんなことはない。誰も悪くない。誰も悪くないけど、人づてにそのことを聞かされた点も含めて、なんだか自分から切り出すタイミングを永遠に失ってしまったような気がする。

 

父親について、ろくな思い出がない。でも、寝る前にいつも本を読んでる姿とか人とのコミュニケーションが不器用なところとか、ところどころで自分に似ていて、自分の内側にその存在を発見することで、次第に理解ができるようになっていったように思う。ゲイのことを病気みたいに言ったのを怒れなかったのも、自分だって問題を先送りにしているからなのだ。

いつか、自分の口から言うべきなのだろうか。言ったら、何かが変わるんだろうか。