砂金の日々

「かすかなひかり」という意味の題のブログを昔やっていた。最近は放置状態なので、フリーのライターとしても仕事をはじめたことだし、新しくブログをはじめよう、そう思ってタイトルを考えていたら、出てきたキーワードが「砂金」だった。実物を見た記憶はないし、当然、砂金採りをしたこともないのに。
 
世界は光で溢れていると思う。素晴らしい音楽や本はもちろん、目をこらせば街路樹や離別さえ自分の人生を照らしてくれる。今でもその気持ちは変わらないけれど、月日が経ち、「かすかなひかり」は砂金に姿を変えた。どちらも輝くものだ。でも、「かすかなひかり」には実体がなくて、発光するのに対し、砂金は具体的だけど、それ自体が輝くわけじゃない。
大人になったことで、希望に身体性がともなったのだと思う。川底の泥を水とともにすくいあげ、わずかばかりの砂金を見つける。その腕の重さは、頭でっかちの若者だった自分には希望だった。
 
だけど20代も半ばまで生きれば、知るのは希望だけではない。この世界には金塊のようにまばゆいことが散らばり、宝石のような才能に恵まれた人がたくさんいる、ということも知った。それを羨む気持ちもやっぱりあって、本当はゴールドラッシュを待っているのかもしれない、と思う。いつか金塊や宝石が簡単に手に入るようになって、こんな砂金の日々、あっという間に忘れ去ってしまいたいのかもしれない。
 
どこへ向かうべきなのか、どんな風に歩いたらいいのか、本当はよくわからない。でも、今を忘れたくないという気持ちも、今を忘れてしまいたいという気持ちも、どちらも生きていく理由にはなる。だから今は、体を動かし続けよう。会いたい人に会って、やりたいことをやってみよう。
 
砂金の日々。