Family Regained

9月9日夕方、ギャラリーのKEN NAKAHASHIで森栄喜さんの個展を見る。家族というテーマで友人や恋人同士、夫婦などを、それぞれの家で、赤いフィルターを通して撮影した写真たち。

赤って刺激的な色だけど、この写真群は透き通っていて、見ていて静かな気持ちになる。癒されるというのではない。見ていると、家族ってなに?と聞かれた時に、すぐに返せる答えがどんどんわからなくなっていく。でも、そこに流れる空気や感情を自分は知っている、あるいは今、知りつつあって、きっとこれのことなのだという確信が流れこんでくる。

個展を見たのは恋人と10月から一緒に暮らす部屋の契約をした帰りだった。恋人とは去年、まだここがmatchbacoという名前だった時にレン・ハンの写真を一緒に見たことがある。あの時の自分は、恋人と一緒に暮らすことを、それがこんな気持ちなのだということを、予想していただろうか?

今年は家族について考えさせられる出来事がとても多い。誰かと一緒に生活をすることになったり、父が死んでもう会えなくなったり、親しい人同士の心が離れていくのを見ているだけしかできなかったり。だから写真のことも、少し自分のそばに手繰り寄せて考えすぎている気がする。でも、そんな風に考えてしまうのも、森さんの写真が持つ力、なのかもしれない。

KEN NAKAHASHIのある古いビルからは、新宿にしては人も車も全然通らない道路が見える。窓枠に切り取られた道路は静かだ。オレンジの街灯に照らされて赤みがかって、さっき見た写真の続きのようにも思えた。踊り場の多いきつい階段を降りて、恋人と一緒に外へ出る。

ドンキホーテの歌のように

今日も仕事帰りに交差点で(生きてるってなんなんだろう)と思った。いつの間にか、お腹がすいたとか、雨が降りそうとか、そういうものと同じ階層で、ごく自然にそんなことを思うようになった。そこから考えが膨らむこともあれば、問いだけが繰り返されて一向に進まないこともある。そしてそれはその日の自分の状態とはまったく関係なく、ふと心に湧き上がる。

深層心理などではなく、癖になっているだけだ。重いテーマだから最初は自分が知らないうちに思い詰めているのかと錯覚していたけど、今はやっぱり一時期に比べればだいぶましで、かなり平穏に生きている。

何度も読み返した本のページが、閉じていても膨らんでしまうようなものだろう。あるいは、ドンキホーテで流れる「ドンドンドン・ドンキ〜♪」の歌が、耳から離れなくなってしまうようなもの。思考には癖がある、ということを覚えておけば、不用意に意味を見出そうとして深みにはまることはない。最近は自分が先回りして不幸な結末を想像してしまうという思考の癖を発見して、そういう考えに及んだ時に「またやってる、起きてから心配しよう」と気持ちを切り替えられるようになった。多分それと同じこと。新しい歌を探そう。

家探し、男ふたり 1

「ゲイカップルが関係を隠しながら家探しをするのってもどかしい!」ということをTwitterで書いたら微妙にたくさんふぁぼられた。昨日はリツイートをまったくされていないのに全然知らない人からふぁぼられることが他にもあって、相変わらずTwitter社のアルゴリズムはわけわからんなと思うのだけど、まんざらでもない。ということで、もしかしたら興味がある人も多いのかもしれないと思い、ここでひっそりと家探しの記録をつけてみることにする。
 
まず、今自分には2年弱付き合っている恋人がいて、6月くらいから本格的に同棲に向けて動き始めた。恋人は去年の12月、僕は今年の3月に今借りている家を更新したばかりなので特に期限はないのだけど、まあ年内に見つかったらいいね、くらいのもの。タイムリミットがないぶん、じっくりと理想の物件を探すスタンス。
物件を見に行ったのは昨日、8月6日がはじめてで、訪れたのは中央線沿いの某賃貸業社。前日に江戸川区の花火大会に行ってけっこうお酒を飲んでいたので寝坊してしまい、10分くらい遅刻してお店に向かう。
 
お店は駅からすぐ近いのだけど若干入り組んだ場所にあり、階段を降り、そのまますぐに3階のお店までまた階段でのぼらなくてはならない。1階にない不動産業社はあまりよくないという噂を聞いたことがあり、階段をのぼりながら(そんな噂はあんまり信じてないけど、エレベーターはあってほしかった)と思う。日差しの強い日で、ちょっとした階段の昇降でふらふらになった二人をお店の人は元気に出迎えてくれた。お店のロゴ入りのうちわであおぎながら、条件を伝える。これは恋人がしっかりとやってくれた。というか、僕は今住んでいる家を借りる時も「屋根とwifiとベッドとエアコンがあればいい」くらいにしか考えていなくて、内見もほとんどせずに決めたくらいで、正直あんまり家にこだわりがない。仕事が遅いので、駅から近いのが理想。今は家から駅までが3分くらいなのだけど、まあ10分以内くらいだと嬉しいなと思っている。あとはとにかく自分の部屋があることは必須。同棲している友人カップルでお互いの部屋がない、という人もいるのだけど、自分はひとりになれる場所がないと絶対にしんどくなるので、そこは譲れないところ。
逆に恋人はけっこう内装的なところにもこだわりがあるらしく、外観やエントランスもなるべく綺麗なところで、部屋も間取りだけでなく壁紙とかも気にして見ていた。まとめると、二人の条件はだいたい以下の通り。
 
・45平米以上
・2DK以上
・リビングが広い(テレビ、ソファ、ダイニングテーブルがおけるとベスト)
・2路線以上が使える
・最寄り駅まで徒歩10分以内
・築浅、あるいは古いけどフルリノベーションされていて綺麗であること
・浴室乾燥機があるか日当たりがよくて洗濯物を外に干せる
・独立洗面台がおしゃれ
 
最後の独立洗面台は恋人曰くかなり譲れないポイントで、今の家には独立洗面台がないので次に住むなら絶対に独立洗面台がほしいと考えていたらしい。加えてデザイン的なこだわりがはんぱなく、ノズルがプラスチックの安っぽいものだとダメらしい。担当の人と独立洗面台の写真だけをたくさん見ながらイメージのすり合わせをしていて、あまりの熱量に横で爆笑してしまった。担当のKさんに「独立洗面台のデザインにこだわる人いないですか!?」と聞いていたが、「いないですね」と即言われていた。だけどそういうこだわりって愛おしいなあと思う。自分にはそういう偏愛みたいなのがあまりないので、羨ましい。プラスチックの独立洗面台の前で毎朝ため息をつかれるよりはお気に入りの独立洗面台の前でご機嫌で身支度をしてほしいし、なるべく尊重したい。「独立洗面台NG」という完全におもしろな基準でダメになった物件もたくさんあったのだけど、その度に笑えてかなり楽しかった。
 
一方で、あんまり笑えないNGもある。それが件の「男性二人のルームシェア」だ。これはもう特筆事項として、大家さんに物件確認の連絡をする時に必ず伝えなくてはならず、これを伝えた時点で断られることがかなり多かった。どうして男二人のルームシェアがダメなのかというと、理由は大きく2つ。ひとつは「友人を誘って騒いだりしないか心配」、もうひとつは「どちらかが出て行く時に家賃をちゃんと払い続けられるのか心配」ということらしい。ちなみにこれは男性同士だけではなく、女性同士のルームシェアでも同様とのこと。
「友人を誘って騒がないか」という点については、異性カップルの同棲でも同じだけ可能性はあるだろう。ふたつめの家賃については、たしかにルームシェアをしている友人に話を聞くとみんな気にしているところではある。誰かが出て行く時は代わりを見つけないといけない、とか。でもまあ、極力みんな家賃を滞納することがないように気をつけているし(それは大家さんにという以上に、一緒に暮らす友人に迷惑をかけたくないという気持ちが働いているもよう)、そんなに心配しなくてもいいじゃんと思ったり。それに異性カップルの同棲だって、別れるリスクはあるわけだから。あんまり腑に落ちない。
しかしここで「ルームシェアじゃなくて、ゲイカップルなので同棲です」と言ったらどうなるのだろう。じゃあ安心ですね、オッケー!とはならないはずだ。以前やった仕事の取材でLGBTの認知度は50パーセントで、年齢が上になるほど低くなっていくというデータを見たことがある。大家さんは高齢の方も多いだろうし、わざわざKさんに電話口で同性愛の概念とかから説明してもらうことになったら申し訳なさすぎる。それに説明に至る前に「よくわからないけど信用できない」と言って断られるパターンもありそうだ。言うことにメリットがあんまりない。だけど言わないのは言わないので白々しく、悶々とするのも事実。
 
この日に見た物件は2つ。ひとつは阿佐ヶ谷の駅からすぐの物件で、アクセス良好ながら住宅街なので人通りは少なく、静かそう。個人的にはレンガ風の装飾が施された外観や内装の雰囲気も好きだったけれど、リビングが狭いことがネックになった。ルームシェア用の物件だったのかもしれない。それだとリビングは狭く、それぞれの部屋が大きい場合が多いのだ。でも僕の部屋は仕事机と本棚が置ければいいし、もう一部屋は寝室兼恋人の部屋となるので、こちらもそこそこの規模でいい。だけど部屋が狭くてリビングが広いって、ルームシェア用物件だとあんまりなさそうなんだよな〜。
 
2件目は落合にある物件。こちらも住宅街なので通りはとても静か。入ってみるととにかく日差しがきつくて暑い。そのわりにエアコンが一台しかなく、もしここに住むなら2台のエアコン増設が必要そうだ。間取りは僕の部屋になるだろう場所は必要最低限の広さで、そのぶんリビングが広い。理想的な間取りだったけど、なぜか壁紙がピンク色で、恋人はこれが気に入らない様子。予算的にもぎりぎりな上、壁紙を変えたりエアコンを増設したりと初期費用がかなりかかってしまうので、そこまでしてここじゃないと駄目とは思えず、契約にはいたらず。
 
なかなかすぐには見つからないね、と帰りの車の中で話していると、Kさんからこんな言葉をかけられた。
「お二人の探されている物件は必ずあると思うので、まだ条件を下げたり予算をあげたりする必要はないと思います。ただ、全部入りという感じの人気物件なので、空きが出てもすぐに埋まってしまうかと。でも、細かく物件をチェックしていればちゃんと見つかるはずです」
明るい声でそう言われて、なんとなく希望が持てた。まあ、じっくり探せばいいのだ。それに実際に物件を見てみると二人での生活が想像できて、わくわくする。一人でいる時間がないと本当に無理なので、実は同棲に対してかなりびびっているところもあるのだけど…。でも、びびっているのも本当ならわくわくしたのも本当だ。どうせなら楽しみながら探してみよう。

住民税が高すぎて今月は完全に赤字なのだけど、今年の夏はやっぱり開襟シャツを着なくては、そう思って土曜日は渋谷をぶらついていた。普段あまり着ることがない暖色系のものがほしくて探していたら、たまたま入った店で薄いピンクのシャツを見つけた。ピンクとか、オレンジがほしかったのだ。少し光沢のある深緑色のシャツも一緒に陳列されていて、気になったのであわせて試着してみることにする。

まずは深緑を着て、試着室のカーテンを開けて店員さんといろいろ話したあと、ピンクを着てみる。単純な色違いではないみたいで、サイズ感含めて自分はピンクが好きだったのだけど、何を言っても店員さんが深緑を買わせようとしてくる。

「ピンクだと優しそうな感じですけど、深緑のほうが男っぽくて良い感じですよ」

いかんせん男っぽさを求めていないので、その言葉がまったく響かない。でもまあそれはまだよくて、普段は何色の服が多いのか、という話になった時に自分が「普段は落ち着いた色の服が多いので、たまには明るい色が着たくて」と暗にピンクが気に入ってることをほのめかしたら「いきなりいくと驚かれるんで、まずは深緑くらいからはじめたほうがいいっすよ」と返される。すげー返しだな。そんなに似合ってないのか。でも、これは意地を張ってるとかではなくて、鏡を見て自分でもピンクが似合ってると思ったから欲しいのだ。だけどいざ否定されると「もしかしたら自分が似合ってると思っているだけで、本当はマジで壊滅的に似合っていないのかもしれない」と思わないこともなく、かといってはいそうですかと深緑を買うのも癪だな、と思って、それぞれ3回くらい試着したあと「もうちょっと考えます」と言ってどっちも買わずに店を出た。自分の優柔不断ぶりにうんざり。「ピンクもお似合いですけど〜」みたいな一言があれば買ったのに! と思ってしまうのも情けなくて自分に腹がたつ。自分の感性を信じてあげられない。良いと思っているものが人にとっては全然そうではないんじゃないかとか、理解されなかったりするんじゃないかという、エイリアンのような感覚がぬぐいきれない。

 

先月中旬からライターとしての仕事も順調で、自分1人で書いて、提出するということをたくさんこなしている。その中でも、基準にすべきものがわからなくてよく右往左往している。だけど基準にすべきものはいつも、最後は自分の心や審美眼なのだ。右往左往する中で、何かを諦めるみたいにしてそのことに気づいた。

 

結局シャツは翌日の日曜日に恋人と出かけて買った。恋人は普通に褒めてくれた。そのことで安心したとかそういう表層的なところではなくて、もっと根っこの部分で、自分が良いと思うものをきちんと良いと感じられるようになろうと思いながら買った。本当に些細なことだけど、こういう些細な肯定感を積み重ねて、人はエイリアンから自分自身になっていくのかもしれない。

電話越しに泣く母を、うまく慰めることができなかった。不器用なので髪をセットするのは苦手だけど、今日はちょっとうまくできた。打ち合わせではお仕事をいただき、2つもらった話のうち1つは過去に一度取材をしたことがある人の取材、もう1つも以前から気になっていた企業の取材で、胸が躍った。

フリーランスになって2ヶ月ほどが経ったけれど、4〜5月は主に挨拶をしたり父のことでばたばたしていたりで、あんまりちゃんと仕事ができていなかった。特に今月入ってからは暇な時間も多くて、やばいなーと思っていたのだけど、下旬〜来月にかけては忙しくなりそうだ。

 

打ち合わせから帰ってきてまた仕事をしようと思ったのだが、良い仕事が舞い込んできた割に気分が落ち込んでいて手につかなかった。気圧や、気温差のせいだろうか。田中圭一さんの『うつヌケ』という、うつと付き合いながらも健やかに生きている人たちの話を綴った漫画に気温や気圧が上下する日は気分も激しく落ち込むというエピソードがあって、それを知ってから少し意識してみている。恋人からも「今日は少し落ち込んでます」とラインが来ていた。母は大丈夫だろうか?

 

先週、近所に住む友人が「地元から送られてきた」といってマンゴーを分けてくれて、それが本当においしかった。これまでに食べたものの中でも群を抜いておいしくて、酸味が少なくて甘さが濃く、すじがなくて口当たりがとろんとしていた。

おいしいものを食べると、どうしてか母のことが思い浮かぶ。母にも食べさせてあげたいと思う。そう言うと聞こえはいいけれど、間違いなくそこには罪悪感が混ざっている。決して貧しい家庭だったわけではないのだけど、母は贅沢することを、お金をかけることを極端に嫌っていたから、贅沢は敵だと刷り込まれてしまっているのだろうか。

 

自分だけが遠くに行けること、幸せになることに負い目を感じる。でも欲望には忠実で、手を伸ばすことをやめたりはしない。すごく正しいはずなのに、それをだらしないと思う自分がいる。これは母のせいではないと思うけど、家族の問題が根っこにある気がしている。

 

来週末は父の四十九日だ。新宿の伊勢丹高島屋にでも寄って、上等なマンゴーを買って帰ろうと思う。

今週は月曜の朝からほとんどの人間が経験しないようなハードな体験をしてしまい、そのショックを引きずっていたのだけどとりあえず想像していたような大事にはならなそうでようやく安心した。

今年は後厄でハードボイルドなことが次々起きているのだけど、それは周りの大切な人に何かが起きて、それについて翻弄されることばかり。当事者だけど一番大変な人ではないので支える側にまわるのだが、まあ支えるのもそれはそれできついし、本人のことを考えると弱音も吐けなかったりして相当しんどいこともある。でもどれもぎりぎりのところで最悪の事態にはなっていなくて、ちゃんとお祓い行ったからなのかな、と玄関に飾った木札に手を合わせてみたりする。厄払いに行くべきは自分ではなくまわりの人なのでは?というつっこみは今は置いておきつつ。

 

自分個人のことについては案外順調だ。仕事でミスしたとかはあったけど。。これからでかいのがくるのだろうか。そうなった時にちゃんとしていられる人でありたい。ただ自分が強くあるというだけではなくて、寄りかかれる人がいることを忘れない、という意味で。

 

自分は文章を書くし、つらいことが起きたら(いつか書いてやるからな)と復讐心のようなものを燃やして耐えることができるのだけど、本当に書くかどうかは微妙だと思っている。言葉が、ではなくて、純粋に事実が拡散することがあまりにも大切な人を傷つけてしまいそうだからだ。そんなんでいいのか、と問い返す声はいつだって響いてくる。覚悟が決まっていないだけなのかもしれない。でも、「不幸でなくちゃ面白い文章は書けない」という考え方に能町みね子さんが反旗を翻しているのともどこか重なり合うような感覚で、大切な人を不幸にしてまで書く文章ってなんだよ、と思う。ろ過して、大事なものを守りながらそこで得たこと、泣いたことを伝えられる文が書きたい。甘いかな。

 

昨日で父が亡くなって1ヶ月だった。葬式の日もこんなよく晴れた日だったな、とまるで遠い日のことのように感じる。退屈な夜に酒を飲みながらもうこの世にはいないのか、とふと思って泣けてくることもあるのだけど、もう会えないということへの悲しみよりも「死」というものの得体のしれなさ、無慈悲さにパニクる気持ちが大きい感じ。受けた愛情に比べて自分の心の中で父が占める部分というのは少なかったのだな、と、もう更新されない関係性のことを思う。悔いが残っているというのともまた違っていて、でもこのうっすらとした虚しさとはずっと付き合い続けていくのかもしれない。

 

ブログにあれこれ書きたいのにちゃんと聴き込めてない音楽がいっぱい。映画も先週末に『メッセージ』を見たけど今週はもうそれどころではなかった…

聴いてるのはtofubeats、Yogee New Waves、Lil Yachty、突如リリースされたMajor Lazorなど。フジロックのステージ別ラインナップが発表されて、BjorkとMajor Lazorが被っていて悩ましい。単純にこの2組を比べたら今は断然Major Lazorが見たいんだけど、Bjorkもアルカを連れてくるらしいからなあ…

Lil Yachtyはジャケットが最高にかっこいいのと最近客演で名前をよく見るので聴いているのだが、相変わらず自分はヒップホップについては聴きわける耳を持っていないなーと思う。「好き」「よくわからない」くらいしか判断できない。リリックの意味がわかれば違ってくるんだと思うけど。中断していた英語の勉強またはじめるか…

tofubeatsはこれまでの客演が豪華でカラフルだったメジャー2作品から意識的に転換していて、オートチューンの寂しさと無機質さに残滓のような甘酸っぱさが漂う、青春の終わりと時代の変化がリアルにシンクロしたような作品。彼のファンでこういうものを求めていた人は多いのではないか。「LONELY NIGHTS」がとても好きで、歌い出しの「寒い夜や暗い日々が寂しいだけじゃないって知ってた」は宇多田ヒカルtime will tell」の「泣いたって何も変わらないって言われるけど 誰だってそんなつもりで泣くんじゃないよね」と同じくらい優しく平易に悲しみを肯定していて、励ますのではない方法で聴く人に前を向く力があることを思い出させてくれる。名フレーズだと思う。

www.youtube.com

 

 

金麦と待ってる

金麦の「幸せの、あいあい皿。今年もお届け。」キャンペーンを頑張っている。金麦1缶につき1枚ついているシールを48枚集めると、応募者全員に2枚セットのお皿が当たるというもの。

「山崎春のパン祭り」はシール24枚で皿1枚なので、キャンペーンとしては順当なのだけど、この「2枚セット」というのがめちゃめちゃ憎い。自社製品の文脈をわかっている。これは一人で集めるものではなく、二人で集めるものなのだ。キリンの「47都道府県の一番搾りキャンペーン」を集めてたけど、妻に言われて半ばしぶしぶ金麦に切り替える夫の姿が見える。冷蔵庫に整列して貼られたピンク色のシールを数える妻の背中が見える。「もう箱で買っちゃえばよくない?」「それじゃつまんないじゃん」などの会話を交わしているのが見える…

 

集めているのはシールではない。共同作業の喜びだ。夫婦じゃなくて、離れて暮らす恋人同士でもいい。僕らもそう。

帰り道のコンビニで金麦を買うとき、恋人のことを思い出す。家に着いて飲みながら、いまなにしてんのかなー、と考える。白いテーブルのふちに雑に貼られていた「47都道府県の一番搾りキャンペーン」のシールは捨てただろうか、今は何枚くらい集まったのだろうか、あんま集まりすぎてても心配だな、そんなことを考えながら、自分もウォルナットのテーブルにシールを貼り付ける。

 

誰かを思い出す瞬間はかけがえがない。恋人はスターウォーズが好きだからお店でグッズを見かけたりすると思わず眺めて思い出すし、多分あっちもあっちで若手バンドの名前を聞いたらあいつは知ってるかな、とかいちいち思うのだろう。好きなものや話したことは生活にあざやかな付箋をつけて、それがどんどん増えていく。

あの青い皿が届いたらどんな料理を作ろうか。サントリーにお金もらってるわけでもないのにキャンペーンに乗せられすぎてバカみたいだけど、バカみたいなのが一番楽しい。たかが2枚の皿でこんなに盛り上がれるのが嬉しい。